『融けるデザイン』を読んでまとめた
『融けるデザイン』の骨子
- 情報技術の発展に伴い、ヒトとインターフェイスが融け合う時代になった
- 今までとは異なる新しい設計のための発想とロジックが必要
- 「自己帰属感」という考え方を軸に新しいデザイン=融けるデザインの考え方を整理
- 作者:渡邊恵太
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2015/01/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
まとめ
体験ベースのものづくりへ
- コンピュータは本来メタメディア=手足の拡張・技術の分化
- e.g. 文書作成、作曲、グラフィック描画などの装置
- が、既存の分化の考え方では説明しにくいものが表れた
- 体験ベースのものづくり
- 現実のメタファ→体験の拡張
- スキュアモーフィズム→フラットデザイン
インターフェイスから体験へ
- インターフェイス=人とモノ・技術の接点
- インタラクション=知覚行為・フィードバック
- e.g. ペン
- ペン先までが身体
- 紙がペン先にフィードバック
- e.g. 車
- 車全体が身体
- 外界(=車体の外)が車にフィードバック
- e.g. ペン
- ユーザーエクスペリエンス=体験
- インタラクションが起こるところで体験が生まれる
自己帰属感とは
- 「道具の透明性」
- ハンマーで釘を打つとき、人はハンマーを意識しないという感覚
- 「自己帰属感」という観点で考える
- 道具が身体の一部だと感じている状態
- 身体性に統合される(人間中心)
- パソコン処理が重くてカーソルがついてこない→「ひっかかる」と感じる
- e.g. マルチダミーカーソル実験
- スクリーン上に大量に配置された偽のカーソルの中から自分が動かしているカーソルを見つける実験
- → 利用者はすぐに見つけ出せるが、観察者はわからない
- 道具が身体の一部だと感じている状態
- 自己帰属率が低い状態
- 連動が乱れている=自己帰属率がシステム側に持っていかれている
- ウェブページの読み込みが遅い→「重い」
- e.g. くすぐり実験
- ある機械を通じて自分で自分をくすぐる→くすぐったくない
- 機械側で300msの遅延をランダムに生じさせる→くすぐったい(!)
- 連動が乱れている=自己帰属率がシステム側に持っていかれている
- 自己感は原因ではなく結果
- 私たちは命令することで手足を動かしている?
- 実は「見る」ことでようやくきちんと動かせている
- 手や足も連動している結果、「私」という輪郭を作っている
- 私たちは命令することで手足を動かしている?
情報を道具に変える
- 「ググるは易く、行うは難し」
- 「インターネットで情報を得る→人間が理解する→人間が問題・課題に適用する」
- 今までの情報はインターネットを介在する
- Encode=実体・現象を記号化してインターネット上にアップロード
- Decode=記号を再現・具現化して具現体に変換
- → 道具自体に情報を紐づける
- 情報がインターネットを介さない
- e.g. smoon
- デジタル化されたレシピ情報に基づき
- スプーンが勝手に計量すべきサイズに変形する
- 計量意識(理解)と計量行為(適用)が不要になる
- 暗黙的な行為を形式知に変える
情報を環境に溶け込ませる
- 情報技術を環境へ融け込ませ、自然に情報を利用
- 時間の使いにくさ
- 時間の長さによる抵抗
- e.g. ドラクエやFFのリリース時、「クリアまで60時間もかかる」ことに批判や抵抗があった
- 利用者の時間をどう奪っているのか、という観点も重要
- 時間の長さによる抵抗
- 非拘束性の設計
- プレユーザー
- ユーザーの「使う」はグラデーション
- デジカメを買って家に置いてある
- 鞄に入れて持ち歩く
- デジカメを構えて写真を撮る
- プレユーザーインターフェイス
- フォトスタンドにもなるデジカメ
- 出かける前に持って行ってほしいことをアピールするインタラクション
- 位置情報に基づき「このあたりは多くの人が写真を撮っている」と通知する
- ユーザーの「使う」はグラデーション
- 制約が生み出す非拘束性
- e.g. Twitterは140文字という制限があった
デザインを現象的に捉える
- 道具-身体システム / 環境-行為システム
- 「モノ」ではなく「肌理と縁」
- 「私たちが周辺を視るということ」を実験してみよう
- 1.少し周辺を視て、体と頭を左右に動かしてみる
- 2.面の重なり合いで起きる縁の発生部分を注意してみる
- 3.縁で起きている肌理の見え隠れは「何の動き」か
- 4.実は「あなたの今の体の動かし方」
- =自己帰属感
- 5.他人ではなくまぎれもなく「私が世界を見ている」という感覚を得る
- → 視ることで、世界と自己を同時に知覚している
- 主観的リアリティと客観的リアリティ
- いくら高画質で解像度の高い映画を見ても、必ずしも映画の中に入り込んだ体験にならない
- 「私は映画館で立体的な映像を見ている」という感想
- なぜなら、人の視覚は実際には2Dで、時間軸によって3D性を捉えている
- いくら高画質で解像度の高い映画を見ても、必ずしも映画の中に入り込んだ体験にならない
- 世界はひとつのOSである
メディア設計からインターフェイスへ
- 情報と物質を分けない
- 体験から考えれば情報と物質の分別はあまり意味がない
- 情報だからといって虚構でない
- 物質だからといって物質的価値があるとは限らない
- 体験から考えれば情報と物質の分別はあまり意味がない
- デザイナーにとっては体験の設計が主となる
- 特定のメディアでのデザイナー(雑誌紙面のデザイナーとか)は徐々にすたれていく
- ライゾマティクス(真鍋大度)はグラフィックでもファッションでもプロダクトでもありうる
- 他にもTakramやチームラボ
- デザイナー・エンジニアリングの垣根から徐々に消えていっている
- 映画・音楽・言葉あらゆるものがメタメディア化していく可能性
- 新しい時代では、「何をやっても新しい」
- すべての問題・物事をインターネットとコンピュータを利用して試し直す価値がある